風の吹くまま日記

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これも私が小学校の特殊学級に勤務していた頃の話だ。



給食の時間になると、高・中学年の子たちはそれぞれの交流学級(普通学級)へ行って そこで給食を食べることになっていた。

なので教室に残って担任や私と一緒に給食を食べるのは、低学年の子二人だけだった。

定年間近の担任は、その情景を「単身赴任の家庭(姑・嫁・小さい子2人)みたいね。」と例えて笑っていた。

それはそれでのどかで良いのだが、困ったのが給食室から教室まで給食を運んでくるのに、なにしろ人手が足らないことだった。

パン箱又はご飯箱、食器カゴ、牛乳ケース、食缶(汁や煮物)、バット(主菜など)、デザートケース等、

いくら少人数用コンパクトサイズといっても、それらを4人で運ぶのだ。

1.2年生の子には重い物は持たせず、万が一ひっくり返してもいいように牛乳とかデザートを運ばせ、残りは担任と私で運んでいた。

担任は年齢のせいか、しょっちゅう あそこが痛い、ここが痛い、が口癖だったので 重い物を運ぶのは私だった。

中で一番重かったのは、汁物が入った食缶だった。

少量だとせっかくの汁が冷めてしまう、それに特殊学級の子はよく食べるだろうという

なぜか知らねど給食センターの一方的な親切心により、4人分でいいのに常時10人分の量を入れてくれていたのだ。

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ある日のこと。

原因はもう忘れてしまったが、(忘れるくらいだから些細なことだと思う)担任が授業中、S君をひどく叱ったことがある。

S君は6年生の男の子で、はしっこく、頭の回る子だった。

学級内ではただ一人の6年生ということで、下級生の子達の親分肌だった。

下級生に対してムカつくことがあっても、その時は我慢して 大人が居なくなった時を見はからってその子に仕返しをする、という面も持っていた。

ちょっと難しいタイプで、担任もS君に対して手を焼くこともしばしばだった。

しかしその時は私から見ても、担任の叱り方は感情的に感じられた。

S君が何か自分の言いたい事を言おうとしてるのに、まったく取り合わない。

そのうちS君は黙ってしまった。

黙って反抗的な目だけ担任に向けている。

これはマズイな・・・・・と私は思った。

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その日の4時間目が終わり、単身赴任家庭の4人で給食の支度をしていた時のこと、

珍しくS君が「今日から僕が食缶を運んできてあげるよ!」と明るく言うのだ。

「え?だってS君、交流学級の給食の準備だってあるでしょ?いいの?」

「うん。僕、足速いから大丈夫。」

「それは先生たちは助かるけど・・・・。」

「そのかわり食缶だけだよ。」

言うが早いか、S君は素早く教室から飛び出して行った。

どうした風の吹き回しだろう・・・・・?

「きっと反省したのよ、さっき私に叱られて。その埋め合わせのつもりじゃない?」と担任は機嫌が良い。

そうなんだろうか。

ほどなくS君は食缶を持って戻ってきた。

そしてすぐさま、交流学級へと行ってしまった。

そんな日が数日続いた。

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やはり何か変だ、と私はずっと胸に違和感を覚えていた。

もとより他人のために奉仕するのが好き、というタイプではない。

できるだけ自分は損をしないように、良く言えば要領よく振舞う子なのに。

ある日、私は給食室へ先回りした。

教室から 途中昇降口を通過して 給食室へ、というのがいつものルートだった。

隠れている私に気がつかず、S君がいつものようにやってきて、食缶を持って去って行った。

私は分からないように そっと彼の後をつけた。

と、彼は昇降口で止まり、キョロキョロ周りをうかがったかと思うと

サッと下駄箱の陰に入った。

昇降口に設置された大きな鏡が 下駄箱の陰の彼の行為を 偶然映し出した。

S君は食缶の蓋をあけ、中の汁に自分のツバを垂らし混んでいた。

そして何事もなかったかのような顔で出てきて、教室へと歩いて行った。

その間わずか5.6秒だった。

私たちは S君のツバ入りの汁を もう何日間も 食べさせられていたのだ。

しかし、特別ショックはなかった。

それよりも、やっぱり・・・・・という感じが強かった。

あの日のことをずっと根に持っているわけだ。

これがS君流の腹いせか。

どうしよう。

担任に告げたらもちろん烈火のごとく怒るだろう。

連絡帳で親にも知らせるだろう。

上の人たち(校長や教頭)の耳にも入れるかもしれない。

教師も親も 知った以上は何らかの形で指導するだろうが、

S君は果たして素直に反省するだろうか。

その腹いせの矛先が露骨に下級生に向けられることを 私は恐れた。

とりあえず私は、何事もなかったかのように教室へ戻ることにした。

教室の配膳台の上には 食缶が一足先に乗っていた。 

トイレへ行ってくると言って、足早に出て行った私を3人は待っていてくれて、一緒に給食を取りに行った。

そして配膳を終え、いつものように給食が始まる。

私は気分的に 汁だけはどうにも食べたくなかったが、

ふだん 好き嫌いせず何でも食べるのよ、と子どもたちに言っている手前、残すわけにいかず 汁も食べた。

もちろん他の人たちは何も知らないので、おかわりまでして食べていた。

こうして私たちは幾日もツバ入りの汁を食べ続けることになる。

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ある日私は行動に出た。

その日もいつものようにS君は食缶を取りに行く、と言って教室を出て行った。

私は今度は先回りしなかった。

S君が昇降口までやって来て 辺りをうかがって下駄箱に入った頃を見はからい

私もスッと同じ場所に入った。

いきなり姿を現した私に もちろんS君はびっくりして顔を上げた。

食缶の蓋は開けられたままだった。

私は何も言わなかった。

何も言わず ただじっと彼を正視した。

S君は明らかに狼狽の色を見せた。

そしてあわてて蓋を閉めると サッと逃げるように飛び出して行った。

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昼休み、いつものようにプレイルームで子どもたちと遊んでいたら

S君が入ってきた。

「どうしたの?校庭に遊びに出ないの?」

「うん。」

「珍しいわね。」

S君はバツが悪そうにしている。それはそうだろう。

「センセイ、知ってたの?」

「うん。」

「いつから?」

「ずっと前から。」

「なんで誰にも言わなかったの?」

私は黙っていた。

そして彼の顔を見た。

また例の反抗的は目をしているのか、と思いきや

意外にも穏やかな 柔和な目で私を見ていた。

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翌日、みんなで給食室へ取りに行ってみると

食缶が棚に乗ったままになっていた。

担任が「あらっ?S君たら、今日は運んでくれなかったのかしら。もう・・・・・・昨日から腰痛がひどいのよね。」と不満そうに言うので

「先生いいですよ、私が運びますから。」と食缶を手に取った。

「悪いわねえ。もう、S君は気まぐれなんだから!」と担任。

私はホッとしたようなやっと終わったような そんな気がした。

それから卒業するまで、彼は二度と食缶を運ぶことはなかった。



卒業した後、S君は2回だけ私に年賀状をくれた。



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コメント
この記事へのコメント
S君がイタズラをやめたのは・・・・・・
■みーままさんへ■
身近に自分を否定しない人間がいる、ということで安心したせいだと思います。
叱り方は子どもの性格を見て変えていました。
ガーッと感情的に怒ってもシコリを残さない子、皆の前で叱ると逆ギレするので休み時間にそっと呼び出して静かに注意すると分かってくれる子・・・・・。特にS君のように弱者に八つ当たりが行く子は難しかったです。
子どもによって対応が違うことに気づかれ、「えこひいきだー!アタシの時はめちゃめちゃ怒るのにー!」と言われたことも。“おバカだね、そういう子が一番可愛いんだよ。”と口に出すとまたえこひいきになるので黙っていましたがね・・・・(^_^;)
私は教育者と違います。学級委員長でした。わははは。
2007/05/11(金) 10:56 | URL | アキラ #BavTA0PA[ 編集]
S君の葛藤を思うと・・・
アキラさんはすばらしい教育者ですね!
私は叱るとき感情的になるタイプで(あ、自分の子にですよ)、あとになって自己嫌悪におちいってまた怒り出すという悪循環やらかします、よく。
子供自身で考えさせることができるって、神業のように思えます!
2007/05/10(木) 22:41 | URL | みーまま #bX/0bw4Y[ 編集]
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