風の吹くまま日記

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愛の美しさとか 友情のカッコよさとか そういった人間の強さをテーマにした映画やドラマは、

その場で ああ感動したわとか面白かったわで済んでしまうが

逆に人の弱さ、いわば誰もが目を背けて通ってきたような部分にスポットを当てた作品は、涙が止まらない。

そしてその後も長くずっと心に残る。

なぜだろう?

弱さそのものは 人間の愛すべき要素だと私は思う。

なのに弱さを別のモノでごまかす、何かまがい物めいたモノで体裁良くコーティングされると 吐き気がする。



人は生きる意義を何に見出すのか。

真顔でこう答えた友人が居た。

「自分を必要としている人がいるから。愛する人を守りたいから。だから自分は生きる。」

こういうタイプは割と男性に多い。

私は言った。

「誰も私を必要としなくても、愛する人が一人もいなくても、私は自分が生きたいから生き続ける。」

その友人はそんな私を憐れんだようで、こう言った。

「自分はそこまで投げやりになっていない。」 と。

投げやり?

そうか。この人のオツムではそう取るか。

私にはこの人こそ、誰かのためという大義名分がなければ人生すら肯定できない、

そしてそんな自分の弱さにさえ気づかない、あるいは気づいていても決して認めようとしない、

憐れな人に映った。



先日、テレビで実力派若手俳優Aのインタビューを観た。

彼は自分の俳優観についてこんな風なことを語っていた。

「僕は俳優をしている限り、自分にとっての宝物(俳優を続ける意義)をずっと探し続けます。

身の回りになかったら、ジャングルの奥地に行ってでも探します。

そこまで行っても何もないかもしれません。

でも、自分で探し回ってでも何かを得たいと強く願う気持ちがなくなったら、

もう俳優は辞めます。

冷たい言い方かもしれませんが、ファンのためとか、僕の作品を観たがっている人たちのために

俳優を続けるということはないです。」




あ この人は 私と同類の人間だと感じた。

少なくとも自分の生を誰かになすりつけていない。

その意味で強い人だと思った。

けれど 強さは人を納得させて終わる。

強さとは言い換えれば、自分第一主義なのかもしれない。

綺麗ごとでコーティングされた弱さとどちらがマシか。



剥き出しの弱さは 一番心に響く。

剥き出しの弱さに 人は心動かされるのかもしれない。 


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去年の今頃の私は “ブログ”という存在は知っていたけれど

ブログってどういう人たちが何の目的でやるんだろう、ってポカーンと思うだけだった。

それまでは自宅のパソコンは一ヶ月に数回立ち上げるだけ。

それもインターネットで情報を得る手段だけに使っていた。



ある日 うさぎを飼うことになり、飼育書を本屋で立ち読みしていたら

店番のおばすぁんが とっても迷惑そうなビームを発していたので、

小心者の私は 情報を主にネットから得ることにし、店を出た。

その日から うさぎ関連のHPやブログを手当たり次第に観るようになった。

生活が一変した。



私のアンテナはある種の限定された空気にのみ反応するらしい。

小さい頃からそうだった。

いわゆる“よくできた優良作品”には、ちっとも心を動かされたことがない。

HPやブログでも いつしか 個性が前面に踊る自由な空気に包まれたものだけを 

選んで観るようになっていた。

カウンタが7桁埋まっていても、常に人気ランキングの上位に位置していても、

それが私の好みにカスッてないものはまったく無視した。

うさぎ関連の情報をひととおり入手してしまうと、うさぎを離れて

自然に 一般の日記、読み物サイトへと興味は移行していった。



そして決定的な出会い。

Kさん(男性)が運営しているブログを観たとき、

こいつすげぇ  と感じた。

ゾクゾクした。

Hさん(女性)のブログを観た時も、

ひゃぁ と思った。

後頭部にガーンときた。

持って生まれたセンスと筆力にただただ圧倒された。



その後はおきまりの “私もやってみたい!” というマイブームの到来。

先日、Kさんにダメモトでメールを出してみた。

それも愚痴のような悩み相談みたいな、もらっても困るだけのメール。

返事が返ってきた。

正直びっくりした。

まじめに簡潔に答えてくれていて、それはブログのイメージのKさんと違っていた。

嬉しかった。



KさんやHさんの文章を読むたび いつも刺激をもらう。

もらうというより、向こうから勝手に発射してくる。

今もって私の偶像。

届かないパワーの差。



すげぇなぁという嫉妬にも似た憧れに突き動かされ、

私は私のブログを続けている。

私を動かすチカラに いつどんなきっかけで出会えるか。

去年の自分は 今と全く違う世界で暮らしていたことを考えると、

不思議な感じがする。




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今朝、テレビで英国人の4才の女の子が誘拐されたというニュースを見た。

ベッカム選手やJ・K・ローリングさん(ハリポタの作者)らが情報提供を呼びかけ、

6億円を越える報奨金が集まったという。

ここに 両親その他の人々から生還を切望される命がある。

もしこの女の子が無事帰ってきたなら、

この子は たくさんの人々の善意に感謝し、再び両親の愛を一身に浴びながら 

今後の人生を歩んでいくのだろう。



そしてまた、熊本の赤ちゃんポストに3才~4才の男の子が預けられていたというニュースも見た。

ここには 両親から共に生きることを拒絶された命があった。

3才~4才といえば もちろん親の顔も認識し 親との思い出のひとつふたつも覚えているだろう。

もし誰かが この親の悪口を言ったとしたら、

この子は顔を真っ赤にして怒るのだろうか。

せめて記憶を何一つ与えないというのが 最低限のルールだと思う。

預けるのは1才未満の赤ちゃんにして欲しい。


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前夜はどんな晩ごはんだったのだろう。

オモチャのような物を買ってもらったのだろうか。



別れ際、親はどんな言葉をこの子にかけたのだろう。

親の背をこの子はどんな顔で 見送ったのだろうか。

親は振り返っただろうか。


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どうか 透明で暖かい風が いつもこの子の周りに在りますようにと

私は願う。



両極端の幼児の命のゆくえが、同日に報道された朝だった。 


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(写真は記事と関係ありません)
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これも私が小学校の特殊学級に勤務していた頃の話だ。



給食の時間になると、高・中学年の子たちはそれぞれの交流学級(普通学級)へ行って そこで給食を食べることになっていた。

なので教室に残って担任や私と一緒に給食を食べるのは、低学年の子二人だけだった。

定年間近の担任は、その情景を「単身赴任の家庭(姑・嫁・小さい子2人)みたいね。」と例えて笑っていた。

それはそれでのどかで良いのだが、困ったのが給食室から教室まで給食を運んでくるのに、なにしろ人手が足らないことだった。

パン箱又はご飯箱、食器カゴ、牛乳ケース、食缶(汁や煮物)、バット(主菜など)、デザートケース等、

いくら少人数用コンパクトサイズといっても、それらを4人で運ぶのだ。

1.2年生の子には重い物は持たせず、万が一ひっくり返してもいいように牛乳とかデザートを運ばせ、残りは担任と私で運んでいた。

担任は年齢のせいか、しょっちゅう あそこが痛い、ここが痛い、が口癖だったので 重い物を運ぶのは私だった。

中で一番重かったのは、汁物が入った食缶だった。

少量だとせっかくの汁が冷めてしまう、それに特殊学級の子はよく食べるだろうという

なぜか知らねど給食センターの一方的な親切心により、4人分でいいのに常時10人分の量を入れてくれていたのだ。

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ある日のこと。

原因はもう忘れてしまったが、(忘れるくらいだから些細なことだと思う)担任が授業中、S君をひどく叱ったことがある。

S君は6年生の男の子で、はしっこく、頭の回る子だった。

学級内ではただ一人の6年生ということで、下級生の子達の親分肌だった。

下級生に対してムカつくことがあっても、その時は我慢して 大人が居なくなった時を見はからってその子に仕返しをする、という面も持っていた。

ちょっと難しいタイプで、担任もS君に対して手を焼くこともしばしばだった。

しかしその時は私から見ても、担任の叱り方は感情的に感じられた。

S君が何か自分の言いたい事を言おうとしてるのに、まったく取り合わない。

そのうちS君は黙ってしまった。

黙って反抗的な目だけ担任に向けている。

これはマズイな・・・・・と私は思った。

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その日の4時間目が終わり、単身赴任家庭の4人で給食の支度をしていた時のこと、

珍しくS君が「今日から僕が食缶を運んできてあげるよ!」と明るく言うのだ。

「え?だってS君、交流学級の給食の準備だってあるでしょ?いいの?」

「うん。僕、足速いから大丈夫。」

「それは先生たちは助かるけど・・・・。」

「そのかわり食缶だけだよ。」

言うが早いか、S君は素早く教室から飛び出して行った。

どうした風の吹き回しだろう・・・・・?

「きっと反省したのよ、さっき私に叱られて。その埋め合わせのつもりじゃない?」と担任は機嫌が良い。

そうなんだろうか。

ほどなくS君は食缶を持って戻ってきた。

そしてすぐさま、交流学級へと行ってしまった。

そんな日が数日続いた。

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やはり何か変だ、と私はずっと胸に違和感を覚えていた。

もとより他人のために奉仕するのが好き、というタイプではない。

できるだけ自分は損をしないように、良く言えば要領よく振舞う子なのに。

ある日、私は給食室へ先回りした。

教室から 途中昇降口を通過して 給食室へ、というのがいつものルートだった。

隠れている私に気がつかず、S君がいつものようにやってきて、食缶を持って去って行った。

私は分からないように そっと彼の後をつけた。

と、彼は昇降口で止まり、キョロキョロ周りをうかがったかと思うと

サッと下駄箱の陰に入った。

昇降口に設置された大きな鏡が 下駄箱の陰の彼の行為を 偶然映し出した。

S君は食缶の蓋をあけ、中の汁に自分のツバを垂らし混んでいた。

そして何事もなかったかのような顔で出てきて、教室へと歩いて行った。

その間わずか5.6秒だった。

私たちは S君のツバ入りの汁を もう何日間も 食べさせられていたのだ。

しかし、特別ショックはなかった。

それよりも、やっぱり・・・・・という感じが強かった。

あの日のことをずっと根に持っているわけだ。

これがS君流の腹いせか。

どうしよう。

担任に告げたらもちろん烈火のごとく怒るだろう。

連絡帳で親にも知らせるだろう。

上の人たち(校長や教頭)の耳にも入れるかもしれない。

教師も親も 知った以上は何らかの形で指導するだろうが、

S君は果たして素直に反省するだろうか。

その腹いせの矛先が露骨に下級生に向けられることを 私は恐れた。

とりあえず私は、何事もなかったかのように教室へ戻ることにした。

教室の配膳台の上には 食缶が一足先に乗っていた。 

トイレへ行ってくると言って、足早に出て行った私を3人は待っていてくれて、一緒に給食を取りに行った。

そして配膳を終え、いつものように給食が始まる。

私は気分的に 汁だけはどうにも食べたくなかったが、

ふだん 好き嫌いせず何でも食べるのよ、と子どもたちに言っている手前、残すわけにいかず 汁も食べた。

もちろん他の人たちは何も知らないので、おかわりまでして食べていた。

こうして私たちは幾日もツバ入りの汁を食べ続けることになる。

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ある日私は行動に出た。

その日もいつものようにS君は食缶を取りに行く、と言って教室を出て行った。

私は今度は先回りしなかった。

S君が昇降口までやって来て 辺りをうかがって下駄箱に入った頃を見はからい

私もスッと同じ場所に入った。

いきなり姿を現した私に もちろんS君はびっくりして顔を上げた。

食缶の蓋は開けられたままだった。

私は何も言わなかった。

何も言わず ただじっと彼を正視した。

S君は明らかに狼狽の色を見せた。

そしてあわてて蓋を閉めると サッと逃げるように飛び出して行った。

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昼休み、いつものようにプレイルームで子どもたちと遊んでいたら

S君が入ってきた。

「どうしたの?校庭に遊びに出ないの?」

「うん。」

「珍しいわね。」

S君はバツが悪そうにしている。それはそうだろう。

「センセイ、知ってたの?」

「うん。」

「いつから?」

「ずっと前から。」

「なんで誰にも言わなかったの?」

私は黙っていた。

そして彼の顔を見た。

また例の反抗的は目をしているのか、と思いきや

意外にも穏やかな 柔和な目で私を見ていた。

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翌日、みんなで給食室へ取りに行ってみると

食缶が棚に乗ったままになっていた。

担任が「あらっ?S君たら、今日は運んでくれなかったのかしら。もう・・・・・・昨日から腰痛がひどいのよね。」と不満そうに言うので

「先生いいですよ、私が運びますから。」と食缶を手に取った。

「悪いわねえ。もう、S君は気まぐれなんだから!」と担任。

私はホッとしたようなやっと終わったような そんな気がした。

それから卒業するまで、彼は二度と食缶を運ぶことはなかった。



卒業した後、S君は2回だけ私に年賀状をくれた。



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小学校の遠足の季節がやってきた。


なんという親だと呆れられそうだが、私は自分の子の入学式、卒業式に出たことがない。

市内公立の小、中学校は式の日がどこも同じだったからだ。

わが子の式には夫に行ってもらい、自分は職場の方に出席していた。

私の職場は、小学校の特殊学級だった。(現在もそういう呼称なのかは知らない)

特殊学級の子どもたちの介助が私の仕事。

ああいう現場で一番強いのは、担任でも校長でも指導主事でもましてや教育長でもなく

知的に遅れた子たちを実際に指示通りに動かせる大人だった。

そういう意味で 私のポジションは学校で一番下っ端だったが、けっこう居心地は良かった。

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くるっとした目のY君は、当時3年生。

チョコレートがかかっている チョコパンが大好物で、学校から帰宅すると必ず食べていたという。

毎年の遠足は、本人が所属する普通学級(交流学級と呼んでいた)に入って健常児と交流するというのが、ひとつのねらいになっていた。

そこでY君のこだわりが出る。

いつも食べているチョコパンを持っていきたい、と言い張るのだ。

お勉強する場所では自分の好き勝手にものは食べられない、ということは彼は分かっている。

しかし お勉強する場所=学校 なのであって、外は学校ではないよ、と頑張る。

お弁当、オヤツとは別にチョコパンを持っていきたい、とダダをこねてきかない。

Y君だけ大目に見る、というわけにはいかないので、お母さんにも協力してもらって なんとかかんとかチョコパンはあきらめさせた。

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遠足当日、Y君は不満げでもなく 終始ご機嫌だったが

やはり見えない透明なドームがY君の周囲にだけ感じられる。

一人でお気に入りのCMソングのワンフレーズを繰り返し歌ったり、

東武東上線の駅名を池袋から終点まで順に連呼するので、

交流学級の子達もどうしても距離を置いてしまう。

大人はきっかけの橋渡しにはなっても、その先は子ども同士で関係を作っていかなければ 人間的な繋がりは持てない。

Y君のような子には それは難しかった。

昼食も終わり、ひとしきり遊んで 集合の時刻になった。

Y君はおとなしく座って、いつものように何かブツブツ連呼している。

当時の女の子は、スカートの中にブルマを穿くのが習慣になっていた。

たまたまある女の子のブルマから、少しだけパンツがはみ出して見えているのを、

担任の先生が「○○ちゃん、はみパンになってるよ!」と注意した。

とたん、Y君が「チョコパンーーーッ!!!」と絶叫したのだ。

なんのことはない、彼はチョコパンへの未練が当日も頭のどこかにこびりついていて

それが「はみパン」という言葉に誘発されて咄嗟に口をついて出ただけなのだ。

しかし一同、爆笑になった。

“Y君は面白いダジャレを叫ぶ”

という幸か不幸か ちょっと的外れな評価がされ、

期せずしてY君の周囲の透明ドームが、シュッと消えたのだった。

もともとどこか愛嬌があるY君だったので、その後 距離は少しずつ縮まり、

女の子の中には 率先して世話を焼きたがる子も出てきた。

当のY君は特に有難がるわけでもなく かといって迷惑そうでもなく、淡々としていた。

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Y君が今 何処に住んでいるのか、どんな青年になっているのか、もう私には知る術はない。

たぶん21歳になっているはずだ。

今もチョコパンは好物なのだろうか。

好物であって欲しいと思う。


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